本文へスキップ

国語力を伸ばすことは、生きていく根本の力をはぐくむこと。

お問い合わせは、火木金の14時以降か土日の10時以降にTEL.045−232−4533

〒231-0845横浜市中区立野73番地 立野ビル401

山手国語塾の教育方針policy

当塾の基本方針、そして国語の現状

教育方針イメージ

 当塾は、小学生の国語・中学生の国語、高校生の現代文・古文の授業を行います。
 山手国語塾が目指すのは、
受験で終わらない確かな国語力を身につけさせることです。

 長年、予備校で高校生・浪人生を教えてきて、ここ数年特に強く感じるのは、生徒たちの基本的な学力の低下です。ゆとり教育のもたらした弊害、そう言って片付けるのは簡単かもしれません。ですが、問題は、単に学校の問題だけではない、この国のひょっとしたら社会全体に関わる、もっと深いところにその根っこがあるように思われてなりません。

 
すべての学力の根本にあるのは、国語力です。国語力を伸ばすことは、すべての教科の学力を一気に伸ばす力をはぐくむことにつながります。学力に限りません。一人の人間として生きていく力を人間力というような言葉で呼ぶなら、人間力をはぐくむための根本が確かな国語力を身につけることだと私は思っています。受験において、いいえ受験だけに限りません。子供たちは卒業し、進学し、そしていずれ社会に出ていく。一人一人の子供たちが、この厳しい社会状況の中で、それぞれの人生を確かに豊かに生きていく上において、他者の言葉を正しく理解する力、自らの思いを言葉にしてより分かりやすく正確に表現できる力を身につけることは、他者と関わることなしには生きられない私たち人間が、文字通り生きていく上で最も確かな支えになるものです。

 ここ15年、私は古文の講師としてずっと予備校の教壇に立ってきました。毎年、多いクラスでは60人からの生徒に、また、レベル的には上は東大クラスから下はゼロからクラスまで、実に様々のレベルの生徒に接してきました。特にこの10年、生徒たちの学力の低下は深刻です。このままでは、この国の将来は本当に危うい。受験の現場で、毎年子供たちを見てきた講師たちの率直な思いです。

 真の国語力を身につけるには、高校三年生になってから取り組むのでは遅い。できれば、小学生か中学生の間に、文章を読む基礎をきちんと確立しておきたい。そうすれば、高校生になって、特別に、現代文で悩まなければいけないというようなことは無くなる。

 
小学校4年生になったら、できるだけ早い時期に、国語の基礎をしっかりと身につけさせたい。そして、それと共に子供たちが本を好きになるきっかけを是非作ってやりたい。夢中になって本を読む子を一人でも多く育てたい。国語力をしっかり身につけさせることによって、想像力をふくらませ、子供たちの心に創造性の種を蒔いてやりたい。それこそが、受験で終わらない国語力、将来社会に出てからの子供たちを支える最も大きな力となるものだと思うからです。


 小説、随筆、論説、詩、説明文、そんなふうにただ分野ごとに、そしてその文章を出題した学校の偏差値を目安に、ただ集められ並べられたテキスト。そんなテキストで、子供たちの国語力を伸ばすのはとても困難な仕事です。私は、本を読むのは好きですが、それでも、まったく興味の無い分野の本を読まなければいけないとしたら、それはやはり相当な苦痛です。今回、塾を開設するにあたって買ってきた電話機やステレオの取扱い説明書を、時にイライラしながら(この手の説明書ほどわかりにくいものはないですよね)読み、あれやこれやしつつ何とか無事使えるようになったのですが、説明書を読むのは、やはり相当な我慢を強いられる行為でした。

 国語を学ぶ子供たちの多くは、これと同様の我慢を強いられているのだと言って良いと思います。まったく興味の湧かない、まったく面白くない文章を読まされるのですから、子供たちのその苦痛たるや、相当なものだと思います。優れた教師は、そんな文章の中から、魔法のように、面白いポイントや子供たちの興味深い事柄を見つけ出して子供たちに示すのですが、その仕事がどんなに困難であるか、容易に推察いただけると思います。

 昔、中学受験のために国語を教えていたとき、私が勤めていた塾は、四谷大塚に準拠していたので、予習シリーズを毎週何とかこなして、週ごとのテスト結果を悲喜こもごも集計して、ということをやっていました。中学受験の大手塾は今でもこのやり方なのでしょうか。それともこれは、四谷大塚だけのことなのでしょうか。
 算数、国語、理科、社会、と中学受験科目を並べてみたとき、どうしても仲間はずれになってしまう教科が一つあります。
本来、けっして週ごとの単元などに分けられるはずのない国語です。国語力を伸ばすという観点からではなく、便宜的に、無理矢理分けられた項目ごとに、あたかもその区分に意味があるかのごとくに毎週繰り返される文章問題中心のテスト。なんと残酷なことをするのだろうと私は思っていました。毎週毎週できないこと、できるはずの無いことを点数化されて、傷つかなければならないからです。キャッチボールもやらずノックも受けないで、いきなり試合に出されるのだから、まともにゴロもフライも捕れるはずはないのです。
 一週間で区切れる算数の単元はあるだろうし、理科も社会も週ごとの単元化は可能です。ですが、国語は、まったくほかの教科とは違います。一週間、ある項目を習っていないから読めない、そんな文章なないし、逆を言えば、何かを一週間習ったから、それで文章が読めるようになる。そんな便利なものなどあるはずがないではありませんか。こんなあたりまえのことが、どうしてずっと見過ごされているのでしょう。
 
気の毒なのは、いくらがんばっても文章問題の得点が取れない子供たちです。毎週毎週どんなにがんばっても、結果が出るのは、文章問題以外の設問だけです。そうそう簡単に文章問題が解けるようにはならないからです。
 しかも、子供たちが受けるテストを、だれもできないものとは思っていない。できている子がいるのですから、当然なのかもしれません。でも、考えてみて下さい。できている子は、週ごとに区切られたカリキュラムと教材によってめきめき力がつき、文章が読めるようになったのでしょうか。そうでは無いのではありませんか。できている子たちは、実は初めからできていた。違いますか。

 国語を伸ばす手段は、一般になかなか確立されていないというのが、正しいところでしょう。でも、この国の中に、
少なくともいくつかの塾で、教室で、独自の手段によって、国語力を伸ばすということを実践している塾があり、教師たちがいる。それもまた、間違いないことです。


当塾にできること

目標イメージ

 山手国語塾に入ると、じょじょに本を読むことが好きになります。また、国語を面白いと感じるようになります。文章が、なんだかとらえどころの無い、のっぺりとした顔から、メリハリのある表情を持った顔に見えるようになります。そして、そうなってくると、今までとは、違った観点から文章を眺められるようになっていきます。
 小学生も中学生も、
文字が丁寧に書けるようになります。自分でさえも読めないような文字では、伝達手段としての文字の意味がありませんよね。誰が見ても分かるからこその文字です。特に小学生には、漢字の書き取りの際に、書き順も含めて、まずは、しっかりと文字の意味や成り立ち、が分かるようにしていきます。そのためにも、ノートチェックをきちんとやります。
 また、文章を読むために必要な言葉の量が、授業中のやりとりと辞書をひくことによって、
確実に増えていきます。
 論理をたどる、その第一歩は、「抽象」と「具体」の理解ですから、
スタートは、まず、この二つの言葉の理解からです。
 
 そして、文章を読むことにだんだん抵抗がなくなってきたら、次は、徐々に
自分で表現することへの取り組みをスタートします。文章がきちんと読めるようになれば、たいていの学校の入試問題で合格点が取れるようになります、ですが、読めるだけでは、まだまだ、半分です。表現できること、自分の想いや考えを言葉にして表現し、伝えることができること、これができなくては、真の国語力が身についたとは言えません。

 例えば、中学受験の国語の問題を見ても、
男女ともにトップの受験校は、すべての設問が自分で書かせる問題です。作問の向こう側に、私には東大の国語の問題が透けて見えてくるように思えます。東大の国語の問題は、良問です。理解力整理力表現力、この三つが、ごまかしようが無く表れる、そういう問題です。付け焼き刃の努力や受験テクニックなどでは、どうにもならない。中学受験もまたトップの学校が作っている問題は、そういう腰のすわった問題です。とってつけたような受験テクニックなどでは歯が立ちません。それこそ良い問題です。

 言葉にして、文章にして、自分の考えや思いを伝えること。もちろんそれは簡単なことではありません。ですが、これがある程度うまくできなければ、子供たちが将来一人前の社会人として生きていくのに、かなり支障が出てしまいます。       繰り返します。まず、読めるようになること。そうすれば、大学受験にしても、ほとんどの大学の入試には対処できます。で、その次に、自分の捕まえた内容や思いを言葉にして表現できるようになること。この表現力が子どもたちに身についてこそ、国語力が、学校を卒業し、社会に出てからの、それぞれの子どもたちの人生を切り開いていく支えになってくれるのです。


 では、受験を控えた子供たちを持つご両親にとって肝心な点。で、
山手国語塾で国語をやればテストの点数は上がるのか。
 今から16年前のことになりますが、その問いに答えるために、私が学習塾で国語を教えていた時の、二つの模試の結果について書いて置きましょう。中学受験のクラスは四谷大塚準拠だったのですが、中学生については、教材の選定から授業の内容まで、一切私の思う通りにやらせてもらっていました。10年の間に、高校受験の駿台の早慶模試で、国語1位の子が出ました。また、当時は代ゼミにも中学部があって、駿台同様全国模試をやっていたのですが、年度の最後に行われる模試が、12月31日実施の代ゼミ模試だったのです。(教え子たちが、代ゼミ模試を受けるのは、この模試1回だけでした。)で、10年間の間に、全国3位と7位という順位の子が私のクラスから出ました。そして、その三人はまったく別の子です。



 高校生についても、「古文が面白い」、そう思うようになってくれたら、すでに80パーセントは成功です。力を伸ばすには面白いと思える何かに出会うこと、それが一番の近道です。『源氏物語』が書かれて、すでに1000年という時間が過ぎ、その間、変わってしまったことは実に多い。でも、ひょっとして『源氏物語』に、今も変わらない何かを見つけられたら、それはひょっとしたら1万年後も変わらない何かかもしれない。時代と共に変わっていく仕組みや環境や道具のなかで、けっして変わらない人の思いというものもまたきっとある。そんなことに古典に触れた子供たちがもし気づけたら、その子が将来、ひょっとして、この国を出て世界を舞台に生きていくことになった時に、かつて古典の中に見いだした人物の思いが、日本人としての自分の核としてその子を支えてくれるものの一つになるかもしれません。もし、その子が将来、世界を舞台に、この世界にとって何か重要な働きをすることができるのだとしたら、そこには、必ず、この国の豊かな自然と言葉とが核としてあるはずだ、私はそう思うのです。1000年経って変わらないものは、国が変わり環境が違い価値観が違っても、変わらないものであり得るのではないか、そう思っています。

 さしあたり、古文を使って話せる必要はありませんが、少なくとも、古文が、「確かに、日本語だ」と捉えられるようにはなってほしい。
豊かなこの国の言葉を興味深く味わうことがもし少しでもできたら、それはそのまま、その子の感性を豊かにするものだろうと思うからです。

 さて、肝心な話。
大学受験の古文は、山手国語塾で、しっかり取り組めば、必ず、できるようになります。得点源にすることさえ、十分に可能です。
 夏休みが終わってしまいましたから、高二の生徒は、もう、まさに今からしっかり取り組みたいですね。高三になるまでに、文法事項はしっかり身に付けておきたいですから。その上で、高三の一年間、いかにしっかり文章に向き合うかです。高二なら、今、まだゼロであっても十分間に合いますよ。

 
古文に困っているのなら、古文を得点源にしたいのなら、どうぞ、やまて国語塾の門をたたいて下さい。今高二なら、まだまだ間に合いますから。ぜひ生徒たちの声を一読してみて下さい。
 現代文は、その子の物心ついた時から今までの、あらゆる言語体験の総合力によるものですから、どうしても、古文以上に時間がかかります。ですから、現代文への取り組みは、できるだけ、早いにこしたことはありません。
 国語の力が、考える力の基本ですから、国語力が弱い子は、受験的にも、やはり、あらゆる教科で、限界が早くに出てきてしまいます。なかなか伸びません。ですが、本当に大事なのは、受験に受かった後、それぞれの学校に進学した後です。最終的には、大学を卒業し、社会に出た後です。表現力の本当の意味は、ここで問われることになるのですよね。



information

横浜の 山手国語塾


〒231-0845
横浜市中区立野73番地
       
  立野ビル401
 TEL. 045-232-4533
 FAX. 045-232-4532








今日の授業






塾長の日常の風景







ベランダの草花













2019年、今年のバラです。